そのとき私は冬美旬のプロデューサーになった
今の世の中はめちゃめちゃこういう感じだ。
こういう感じ、とはコロナとかそれに付随するデマや買い占めや不安やよくわかんない宣伝とかが蔓延っている。
sidemもドームで行われらはずだった5thライブがなくなったり、5thアニバーサリーCDが出たり、新しいユニットCDが発売されることが発表されたりしている。
そんななかで私はひとつ転機があった。
もうタイトルバレしているんだけども。
「冬美旬と神楽麗のPになった」
ということ。
きっかけはアニバーサリー記念で配布されたプライドスターカードの配布だった。
1枚だけ、と言われて私は悩んだ。
当時はまだ旬と麗のファンで、Pとは言っていなかった。ファン以上P未満、みたいな感じだった。それは4thライブを過ぎたときもそうだ。
https://sawako-uisen.hatenablog.jp/entry/2019/05/16/222937
それから時間が過ぎて、私は迷っている。
何でか?というと簡単だ。
「プライドスター、旬をもらうか、麗をもらうか」
すごくおかしな話だと思う。
そのときの私は道夫先生のPをしていたはずで、真っ先にもらうべきは道夫先生のプライドスターだったはずなのだ。
なぜだ、と思った。
前のブログにも書いてはいたけど、私はずっと旬のプロデューサーにはなれないと思っていた。
私がプロデューサーをしていたら、旬はこんなに素晴らしい成長は遂げられなかっただろうと思っていたから。
アイドルになってから変わっていく旬が大好きで、旬のことを応援したくなった。
旬は私ではなく、他の誰かのプロデュースだったから、旬自身の成長を妨げることなく笑顔を見せてくれるようになったのだ、と。
けっきょく私は旬のプライドスターを選んだ。
私はPにはなれないと思っていたけど、旬は旬自身が思う315を見つけて成長していけばいい。
私は成長を作るPではなく、後押しするPであれば良いのだ。
Pの在り方はそれぞれでいいんだって、なんで気づかなかったんだろう。
それはたぶん麗にもいえることで、二人のことが大好きで、大切だからこそ、「これから」を守りたいと思った。
彼らの今までは彼自身の力だし、彼らのこれからもきった彼らの自身の力だろう。
いろんな事があるアイドル活動。
嫌な思いも影でたくさんしているかもしれない。
いろんなことを隠しているかもしれない。
いつアイドルを卒業したいといってもおかしくない。
三次元のアイドルも応援している身からしてみればアイドルというのは一瞬の陽炎だ。
でも少しでも彼らが笑顔でいられる期間が長くあれるように。
その助けになれるのが私のプロデュースの一部であればいい。
そう思って。
相変わらず文章がへたくそだ。
私はいつまでも成長しないな。
すごく当たり前のことに気づかせてくれるのはいつだって担当だ。
ありがとう。これからもよろしくね。
もうすぐAltessimoとHighxJokerのDOSがはじまる。
私はどこまで力になれるだろう。
担当の二人が新しい成長を見せてくれることを楽しみにしている。
そのとき私は冬美旬のプロデューサーになった。